2017年10月27日金曜日

自由について1


哲学科出身の村上です。
突然ですが、「執着」ということについて考えてみました。

昨日、Acroquestに長期のインターンシップに取り組んでいる学生の一人が、内定となりました。
長期のインターンシップといっても、始まって二週間ほどしか経っていません。

この短い間に、会社のことを表も裏もよく理解してくれ、馴染んでくれたように感じられたため、採用担当から、「あなたがよければ内定を出すよ」と打診したのでした。

彼はその場で決断し、内定が決まりました。















実は、いくら選考過程が早いAcroquestでもこれは異例のスピードです。

普通はどうなるか?

まず、こちらが内定を出してもよいと思えるまでにもっともっと時間がかかります。
志望学生がAcroquestに決めるという気持ちが固まらないからです。

その状態の学生から出てくる悩みは、自分の能力に自信がない…、親の意向が…、世間体が(大企業に行きたい)…、などなどです。

その悩みの多くが、その時点での自分の力ではどうにもならないこと、または学生本人の人生とは無関係なことです。こうした悩みが私の言う「執着」の一つです。

現時点で能力がないのはどうしようもないです。昨日の自分より今日の自分というように成長していくしかないです。親の意向はあなたの人生とは関係ありません。世間体も同様です。このようなことに執着して悩んで時間を使うのは、人生をダメにすることだと思います。

ところが、今日内定となった学生には、このような執着は全くありませんでした。
親にも報告の電話をしない有様です。ただAcroquestに内定が決まったことが嬉しいようでした。


人生は本来は自由なものです。執着を手放せばそれをもっと実感できるのではないでしょうか? 彼のように。

(そんなことわかってるよ!!)

次に機会があれば、また別の執着について考えてみたいと思います。

それでは。

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